2005年4月.24日更新
■少年の頃
 僕の初めての山との出会いはいつの頃だったのだろう。今、あらためて考えてみると、思い出されるのは、僕が小学1年生の頃のこと。当時、僕が住んでいた町には、本宮山(ほんぐうさん)という標高789メートルの大きな山があった。そんなある日、父に連れられてこの山に登った。これが僕と山との初めての出会いだったのかもしれない。その後、この山には、中学を卒業するまでに30回位は登っただろうか。とにかく暇さえあれば、友達を誘って良く登っていた。背中のリックには、母に作ってもらったおにぎりとソーセージが必ず入っていた。そして、頂上でこれを食べるのが何よりも楽しみだった。当時、どうしてこんなに山に登っていたのか、その理由は良くわからない。娯楽らしい娯楽もあまり無かった時代だったので、外で遊ぶうちに、たまたま足が山に向いていただけなのかもしれない。だから、この時は、「山が好き」なんて意識したこともなかった。ただ楽しかったから登っていただけだった。

■高校の頃
 僕の通っていた高校に山岳部があった。僕は入部しなかったが、山岳部の友人から山の話は聞いていた。写真も色々と見せてもらった。その写真の中に、中央アルプスの駒ヶ岳の写真があった。千畳敷の木々が紅葉している綺麗な写真だった。そしてその背後には岩山が堂々とそびえていた。これを見た時、僕は直感的に「行ってみたい!」と思った。しばらくして、山に行きたいことを母に相談してみた。でも、「危ないから」の一言で反対されてしまった。もちろん僕は落胆した。実のところは、母に相談する前に、こっそりとキャラバンシューズ(軽登山靴)を買い込んでいたのだった。だから反対された時はほんとうにガッカリした。でも、反対を押し切ってまで山に行く勇気は無かった。こうして、せっかく買ったキャラバンシューズをただ眺めながら、僕の高校生活は終わってしまった。

■社会人になって
 さして目標もなく高校生活を送っていた僕は、卒業が近づくにつれ、急に大学に行きたくなった。しかし、家庭の事情などもあって、所詮かなわぬ夢だった。そこで、僕は高校卒業と同時に僕は迷わず実家を出る決心をした。神奈川県にある電気メーカーに就職する為、夜行で一人上京した。上京の時は、母が駅まで見送りに来てくれた。でも、なぜか父は来てくれなかった。あとで、母から聞いたのだが、僕が上京した夜、父は布団の中で一人泣いていたそうだ。この時の父の心境は、恥ずかしながらこの歳になって初めてわかったような気がする。ともかく、僕は迷わず就職先の会社の山岳部に入った。両親には心配をかけたくなかったので、山岳部に入ったことは内緒にしていた。でも、なぜか直ぐにバレてしまった。その後、正月合宿などで僕が山に行っている時は、テレビの遭難ニュースなどを見て、自分の息子の名前が出るのではないかとヒヤヒヤしていたようだった。今から考えれば、親の気持ちもかえりみず、随分と親不孝者だったと思う。両親が心配していたのは薄々わかっていたので、山での出来事はあまり話さなかった。実際の所は、7年間で三度ほど、死ぬ一歩手前というような危ない目に遭っていたのだが、そんなことはとても話せなかった。

■今は
 20年以上のブランクを経て、最近になって、気の向いた時に低山を歩き始めた。
 所属山岳会: 今のところ無し、将来も多分無し
 最近は、同世代の仲間数人と中年登山隊を組んで、日帰りでは行けない所を選定して、年1〜2回
 のペースで山行を行うのが目標となっている。

■なぜ山に登る?
 その答えは「良くわからない」。ほんとうに今でもよくわからないのだ。重い荷物を背負って登っている時などは、「なんでこんなことをしてるんだろう?」と良く考えていた。でも、そういう苦しみもすぐに忘れてしまう。山はそれだけの包容力と魅力があるのかもしれない。あるいは、緊張感を味わうのが楽しかったのかもしれない。但し、岩登りでは「楽しい」という形容は、僕に限っては正しくないだろう。顔をひきつらせながら登っていたことのほうが多かったと思う。ようするに怖いのだが、なぜかまた登りにいってしまう。だから、「なぜ登る?」と聞かれても、人にはうまく答えられないのだ。

■帰らぬ友
 実は、僕には帰らぬ岳友が二人いる。一人はT君という僕の1年後輩である。彼とは2年ほど一緒に山行を伴にしたが、より高度な技術と実績を求めて別の山岳会に移っていった。そんな彼が、ある日、南米のアコンカグア山(6959m)に遠征した。そしてアコンカグア山の南壁登攀に向かったまま、行方がわからなくなってしまった。何でも聞いたところでは、ベースキャンプには彼ら遠征隊3人のパスポートだけが残されていたそうだ。あれからもう20年近くになるが、未だに彼は帰って来ない。

 もう一人はS君という、こちらも僕の1年後輩だった。彼とは3年ほど山行を共にした。気の優しい好青年で、彼とは良く気が合って、随分と楽しい山行を重ねた。そんな彼も結婚し、山とも縁遠くなってしまったある日、突然の訃報が舞い込んできた。交通事故により、奥さんと3人の娘さんを残したまま、30才の若さで逝ってしまった。

■自分の子供が岩登りをしたいと言ったら・・・
 多分、いや、絶対に反対すると思う。