2001年12月8日 作成
北アルプス 鹿島槍ヶ岳 東尾根登攀
〜五竜岳縦走
1978(S53)年4月28日〜5月2日
その2
東尾根ルート図
東尾根断面図
4月28日   登戸 19:00〜(電車)〜新宿発 22:30
4月29日 雨のち風雪 信濃大町 04:53〜(車)〜大谷原 06:45〜(6P)〜二ノ沢 12:55 (幕営、消灯 20:20)
4月30日 晴れ 起床 04:40 二ノ沢発 07:20〜(2P)〜第一岩峰 09:35〜(2P)〜第二岩峰 12:40〜(2P)〜天狗の頭 15:40〜鹿島槍ヶ岳北峰 16:17 (北峰直下にて幕営、消灯 21:40)
5月01日 晴れ 起床 04:30〜北峰直下発 07:20〜(1P)〜南峰 07:48〜(2P)〜キレット 09:30〜(1P)〜キレット小屋 11:00〜(4P)〜五竜岳 17:15〜五竜小屋 18:25 (幕営)
5月02日 晴れ 起床 04:30 五竜小屋発 06:50〜(4P)〜スキー場 09:50〜神城駅 11:10〜(電車)〜立川 17:29〜(電車)〜溝ノ口 19:00 (解散)
メンバー: 渡辺(CL)、山下(SL)、渡辺(和)、山口
会費(交通費/食料費): \11,000/一人 ※山行計画書&報告書有り
第二岩峰基部にて
第3日目
 4時30分に起床し、ほうれん草とナルト入りの雑煮をつくる。朝一番で南峰をピストンアタックし、いよいよ八峰キレットの下りに入る。キレット核心部で先行パーティーがいた為、少々時間待ちを強いられる。核心部の雪壁は僕がトップでスタカット2ピッチで無事通過し、キレット小屋で小休止する。

 今日も最高の五月晴れで、すがすがしい。これより、五竜岳までの縦走に入るが、予想以上のアップダウンの連続に、同行の女性メンバーが途中でダウン。やむを得ず、彼女の荷物を他の3人で振り分け、残る力を振り絞ってもらって、17時15分、五竜岳山頂に到着する。陽もかなり暮れ、かつ、疲労も重なっている為、五竜山荘への下りは神経を使う。

 僕の記憶では、確かここを下っている時だったと思うが、同行の女性メンバーが疲れからか足を滑らせ、谷に向けて滑落してしまう。僕はとっさに「ストップ!」と大声で叫んだ。滑落停止訓練の時にいつも発していた言葉だ。幸い、彼女はこの言葉に反応してくれたのか、自ら滑落停止姿勢をとってくれ、稜線から10メートルほど滑落したところで、自力で停まってくれた。あのまま谷に滑っていっていたらと考えるとゾッとしたが、ともかく大事に至らなくて幸いだった。

 この一件で僕は、今日は少し無理をし過ぎたな・・・と、リーダーとしての自らの未熟さを反省したり、でも、2週間前に富士山での雪上訓練を行っていてほんとうに良かった・・などと色々な思いを巡らせながら五竜山荘に向けて下っていった。そして、陽も暮れた18時25分、無事、五竜山荘に到着した。今日はもうこれ以上の行動はできない。急きょ、山荘横で幕営し、三日目の夜を過ごす。

第4日目

 当初の予定では、昨日、唐松山荘まで行く計画であったが、毎日の行動が少しずつ遅れ、結局は五竜山荘までしか縦走できなかった。昨夜の滑落の一件や皆の疲労を考えて、唐松岳への縦走は中止し、ここより遠見尾根を下山することにする。スタートから4ピッチで五竜遠見スキー場に到着し、既に封鎖されているスキー場のゲレンデを、シリセードやグリセードで思い思いに滑り降りる。

 11時10分、神城駅に無事到着し、急行列車にて帰路についた。

終わりに
 会の山行としては、初めてバリエーションルートに挑んだ訳であったが、山行歴2年のメンバーが二人いたことや、自分自身としても未踏の尾根であった為、少々不安な気持ちがあったことは否めない。メンバーの平均的な技量で考えれば、少し背伸びをし過ぎた山行であったやにも思う。

 今日での東尾根は、一般化しつつあるルートのようであるが、僕の印象では、積雪期の東尾根は、冬山経験と登攀経験をある程度積んだ者以外は入山すべきでないと思われる。場所によっては、雪庇(せっぴ)もかなり発達しており、相応の洞察力が必要だし、ナイフリッジ状の稜線も何ヶ所か存在する。

 入山される諸氏は、十分過ぎるほどの装備と日程の基で挑んで頂きたいと思う。

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鹿島槍ヶ岳(北峰)山頂にて
北峰直下にて2日目の幕営
八峰キレットを登攀する私(1ピッチ目)
八峰キレット付近にて(後は五竜岳)
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鹿島槍ヶ岳ってどこにあるの?
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