2001年6月30日 作成
北アルプル 北鎌尾根 登攀
1974(S49)年10月
■北鎌尾根ルート図
■北鎌尾根断面図
第1日目 葛温泉〜七倉〜高瀬ダム〜湯俣温泉〜天上沢〜北鎌沢出合(幕営)
第2日目 北鎌沢出合〜北鎌沢右俣〜北鎌コル〜独標(2899m)〜北鎌平〜槍ヶ岳〜槍沢〜横尾(幕営)
第3日目 横尾〜上高地
メンバー: 半田、渡辺
※山行計画書&報告書無し
北鎌沢出合にて
 山を始めてからしばらくして、「孤高の人」という新田次郎氏の山岳小説を読んだ。これは、稀代の単独行者・加藤文太郎氏の人生を描いた実話で、その内容に僕は随分と感銘を受けた。加藤文太郎氏は厳冬の北鎌尾根に挑み、31才の若さで帰らぬ人となってしまう。1936年1月の出来事である。なお、氏の遺稿集は「単独行」として発刊されている。

 また、1949年1月には、当時の先鋭登山家であった松濤明氏が友人と二人で厳冬期の北鎌尾根に挑み、「サイゴマデ タタカフモイノチ 友ノ辺ニ スツルモイノチ 共ニユク」という壮絶な遺書を残して帰らぬ人となった場所でもある。こちらは「風雪のビバーク」と題して遺稿集が出ている。

 これらの小説を読み終えた僕は、一度はこの小説の舞台となった北鎌尾根に行ってみたいと思っていた。ただ、この北鎌尾根は一般の登山道ではない為、市販の山岳地図には登山コースとしては紹介されていない。そこで雑誌などで必要な情報を集め、晩秋のある日、僕は同僚と二人で北鎌尾根に行く決心をした。

 信濃大町駅からバスで葛温泉まで入り、ここから長い長いアプローチが始まる。この日の幕営予定地の北鎌沢出合までは、たっぷり8時間は歩かないと到着しない。七倉〜高瀬ダム〜湯俣温泉へと順調に歩を進める。ここからは一般の登山道はない。水俣川沿いに進み、途中、2ヶ所ほどワイヤーで出来た吊り橋を渡る。ここから天上沢に入り、北鎌沢出合まで向かう。

 北鎌尾根に取り付くには北鎌沢右俣を登り北鎌コルに出るルートと、尾根末端に近いP2から取り付く2つのルートがあるが、僕らは前者のルートを選んだ。この日の行動は北鎌沢出合までとし、河原で幕営した。

 (当時、水俣川に架かっていたワイヤーの吊り橋は、既に無くなっているようで、今は水俣川の徒渉が強いられるとのこと。水量によっては徒渉が困難で敗退を余儀なくされるということもあると聞き及んでいる。この為、最近では大天井岳から貧乏沢を下り、北鎌尾根に取り付く登山者が多いそうである。)

 翌日は、北鎌沢右俣をつめ、北鎌コルに到着する。ここから北鎌尾根の登攀が始まる。P8〜P9と順調に歩を進め、P10(独標)に到着する。季節はまだ10月だが、この辺りから雪が見え始めてくる。独標までくると、雄大な槍ヶ岳が間近に見える。

 はやる心を抑え、慎重に進む。P11〜P15まで順調に進み、北鎌平に到着する。既に10cmほどの積雪だった。ここまでくれば、槍ヶ岳は目前だ。ここから見た槍ヶ岳は雪で真っ白だったので、本当にたどり着けるのか少々不安になったが、ともかく行けるところまで行くことにする。

 槍ヶ岳への登りは思ったほど難しくなく、結局、持参したザイルも使うことなく、山頂に到着した。同行の友人と喜びを分かち合い、山頂でしばし絶景を楽しんだ。思えば、この頂に立ったのは2年ぶり2回目で、最初は、夏に表銀座を縦走した時に来ていたのだった。

 ここからは槍沢を下り、確か、横尾あたりで幕営したと記憶している。この日はかなりハードな1日だった。二人だからこそこなせた行程だが、大所帯のパーティーではこうはいなかいだろう。

 三日目は、横尾から上高地に出て帰路についた。

◆◆編集後記◆◆

 好天にも恵まれたせいか、思っていた以上に順調に走破することができた。この山行では持参していた登攀道具は結局使わなかったが、ザイル、ピトンなど一通りの登攀道具は持参すべきである。

 厳冬期の北鎌尾根はこんな簡単には登らせてくれないだろうが、この次は是非とも厳冬期の北鎌尾根に挑戦してみたいと思った。そして、この山行から1年半後の5月に、残雪期の北鎌尾根に再び挑戦することになる。
独標よりの槍ヶ岳
北鎌平よりの槍ヶ岳
北鎌平にて(小生、積雪10cm)
槍ヶ岳岳山頂より北鎌尾根を望む
ここを登ってきたのだ
槍ヶ岳山頂より槍岳山荘を望む
北鎌平より槍ヶ岳を望む
北鎌尾根ってどこにあるの?
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