旧東西ドイツ国境跡
2000年3月8日作成
 1998年6月13日〜21日まで、所用でドイツのブラウンシュバイク市に行った際、ここより南東に50km程行ったMattierzollという所に「旧東西ドイツの国境跡」が残っているというので、訪問先の方に案内してもらいました。私は、1979年〜1983年までの4年間、旧西ドイツに駐在していたんですが、当時は東西冷戦状態であり、国境を見学に行くなどということは、考えもしませんでした。 
 左の写真が道路脇に残る旧国境跡で、今でも大切に保存されています。中央のフェンスは金網のように見えますが、実は鉄板をくり抜いた「パンチングメタル」で、当時はここに高圧電流が流されていたそうです。写真ではわかりませんが、フェンスの所々に10cm四方の穴があいていますが、これは銃口をここから出して、狙撃するための穴だということでした。
 左の写真は当時の様子を表したイラストです。訪れた国境跡の小屋に展示してありました。イラストの手前のフェンスから奥のフェンスまでが旧東ドイツ側です。ちなみに、このフェンスは西側との交流を遮断する目的で、すべて旧東ドイツ側が建造したもので、当時、旧西ドイツ側にはフェンスは一切無かったそうです。このフェンスの中には猛犬が放し飼いにされていたり、動くものを自動的に関知して弾丸を発射する機関銃などが設置されていたそうです。
 左の写真は、旧東ドイツの国境監視塔です。私が行ったときは、東西ドイツが統一して既に8年の月日が経過していましたが、これら建造物の保存状態はあまり良くないと感じました。ちなみに、私がここを訪れた時は、我々以外には他に誰もいませんでした。案内して頂いたドイツ人の方も、「近くに住んではいるがここに来たのは初めてだ」と言っていました。いわゆる負の遺産ですので観光名所になっている訳ではないようです。
旧東西ドイツの国境を越えて、旧東ドイツ側に入ると、特に田舎町では、今でも建物などの景色が一変します。左の写真は、旧ソ連製のトラバンタです。ボディは硬質紙で出来ています。旧東ドイツ側では今でも時々目にします。