その1 |
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長野県須坂市の山中にあった米子(よなこ)鉱山。1743年に本格的な硫黄の採掘が始められ、最盛期には月産1200トンの硫黄を産出し、1500人もの鉱山関係者が生活していたそうだ。
しかし、時代の趨勢と共に、1960年に硫黄の採掘が終わり、1973年には全面閉山となった。閉山から既に35年もの月日が経過し、今ではその存在すら知らない人が多くなってきたが、当時の面影はまだ残っているであろうか・・・。
昨年の小串鉱山に続き、5月23日、僕は一人でこの米子鉱山跡を訪ねてみた。
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米子鉱山の主な年表 |
1630 |
近江の商人が硫黄採鉱を請け負った記録あり |
1780 |
採鉱範囲を広げ、7箇所で採鉱 |
1898 |
米子硫黄(株)設立 |
1903 |
信濃硫黄(株)設立 |
1904 |
索道を上米子まで延長 |
1911 |
落盤事故で18名死亡 |
1920 |
火災発生、鉱山集落をほとんど焼き尽くし、閉業 |
1927 |
大阪の資本家により経営再開 |
1934 |
中外鉱業(株)経営 |
1936 |
合併して中外硫黄鉱業(株)となる |
1951 |
硫黄生産高2,139t、蝋石3,341t、従業員125名 |
1960 |
硫黄鉱山閉山、蝋石の採掘は継続 |
1973 |
米子鉱山全面閉山 |
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米子大瀑布への林道 |
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昨年の秋、小串硫黄鉱山を2回訪れ、鮮烈な印象を受けていた。近くには有名な米子(よなこ)硫黄鉱山もあるので、雪解けを待って、5月23日に訪れることにした。
自宅を5時半に出発し、現地へと車を走らせた。上信越道の上田菅平ICで高速道路を降り、国道144号〜406号を通って菅平を通過、亀倉町より林道へと入る。
「米子大瀑布まであとxxkm」という案内板が出ているので、これを頼りに先へと向かう。 |
自宅を出発してから4時間後の9時30分、行き止まりの駐車場に到着した。先客は車が2台だった。この日は平日なので、大瀑布を見に来る人もさほど多くないだろう。
念のため、登山靴に履き替え、持参したおにぎりと水1リットルをザックにつめて、9時40分に駐車場を出発する。
歩き始めて、いきなり遊歩道のど真ん中にヘビ(おそらくマムシ)が居た。ワーッ! ビックリした〜。危うく踏みそうだった。何度みても、どうもヘビは苦手だ。 |
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終点の駐車場 |
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遊歩道入口の案内板 |
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ここは米子大瀑布がある為、遊歩道が整備されており、1周歩くと、1時間半〜2時間くらいだろう。
まずは不動滝へと向かう。なだらかな上り坂を歩くこと20分あまりで不動滝(落差80m)が見える橋の架かった沢へと出る。 |
僕は勘違いして、この沢を滝へと登っていったが、途中から道が無くなり、引き返した。下る途中で、浮き石の上に乗り、左足を思いっきりひねってしまった。イテテ・・・、捻挫だ。
歩いてみたが、足首に痛みが走った。まだコースの1/3も歩いていないのに、参ったな〜。引き返そうかとも思ったが、少し様子を見ながら歩いてみると、どうにか歩けそうなので、そのまま先へと向かうことにした。 |
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不動滝(落差85m) |
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米子不動尊奥の院(滝山不動寺奥の院) |
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天気が良いので、歩いていると汗ばむ程だ。坂道を少し上ると、米子不動尊奥の院のに出た。ここから、不動滝までさらに200メートルほど歩いて行くと、滝の根元まで行くことができる。 |
水量も結構あり、近くで見るとなかなか圧巻だ。 |
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不動滝上部 |
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不動滝の基部から眺めた硫黄鉱山跡 |
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不動滝の基部近くから反対側を眺めると、硫黄鉱山跡が見えた。 |
その後、遊歩道を少し歩くと、権現滝(落差75m)が見えてくる。滝を見に来た訳ではないが、なかなか良い眺めだ。紅葉の時に来れば、さぞや綺麗なんだろうな〜。 |
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権現滝(落差75m) |
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米子大瀑布の標柱から眺めた不動滝&権現滝 |
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橋を渡り、沢の対岸へと向かうと、鉱山跡地に出る。ここには日本の滝百選、米子大瀑布の標柱があり、二つの滝を見ることができる。ベストビューポイントだそうだ。 |
さて、この標柱の直ぐ横が硫黄鉱山の精錬所があった場所だ。建物はすべて撤去され、すべて埋め戻されているので、当時の面影がないのが少し残念だ。 |
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米子硫黄鉱山跡 |
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鉱山跡を示す案内板 |
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鉱山跡を示す案内板があったので、当時の見取りを頭に入れて、付近を少し歩いてみることにした。 |
近くに山の神を祀った小さな神社があった。石垣などは当時のままのようで、当時からここに有ったのであろう。 |
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山の神を祀った神社 |
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その2 |