2001年11月24日 作成
南アルプス 甲斐駒ヶ岳・仙丈岳
1977(S52)年12月29日〜1978年1月2日
■ルート断面図
12月29日 記録なし 新宿発 23:20(アルプス7号)
12月30日 晴れ 伊那北 06:00〜(バス)〜戸台 07:00〜赤河原〜北沢峠 15:00 (BC設営)
12月31日 記録なし BC 06:00〜小仙丈岳〜仙丈岳 (BCよりピストンアタック)
01月01日 曇り BC 04:00〜駒津峰〜駒ヶ岳 (BCよりピストンアタック)
01月02日 記録なし BC 07:00〜北沢峠〜赤河原〜戸台〜(バス)〜伊那北〜(電車)〜立川
メンバー: 山口(CL)、渡辺(SL)、山下、渡辺(和)、中満、黒川、四井
会費(交通費/食料費): \10,500/一人 ※山行計画書有り
※日程とコースタイムは計画時のものです。
八丁坂と丹渓新道の分岐点にて
 会のOB2名も参加し、久しぶりに大所帯の正月合宿となった。僕が山を始めて初めての正月合宿が、ここ甲斐駒ヶ岳であった。そういう意味では思い出深い場所で、5年ぶりに訪れることになった。

 例によって、戸台から長い長い道のりを歩き、息も絶え絶えに八丁坂を登り、BC設営地の北沢峠に到着する。

 確か、この冬に照準を合わせて、6〜7人用の冬用テント(冬天)を新調したと思う。写真に写っているのは、その新しい冬天だ。この位の物になると、値段も結構馬鹿にならず、当時の価格で15万円ほどしたと思う。一昔のものと比べれば、素材や構造は進歩していたが、重量はそれほど変わっていなかった。

 入山2日目は仙丈岳へのピストンアタックの予定であったが、行ったかどうか忘れてしまった。写真も残っていないので、悪天候で行かなかったかもしれない。

 3日目は、BCから駒ヶ岳へのピストンアタックをした。何と言っても、ピストンアタックは背負う荷物が軽いので楽だ。それほど苦もなく、ピークに到着する。頂上では、メンバーの一人が持参してきたカイトを上げてみた。風が強いので、思った以上に良く揚がった。

 BCに帰ってから、皆で「おしるこ」を作って舌鼓を打った。

 会では気象担当という役柄があって、僕がこれを努めていた。主な仕事はNHK第二放送のラジオで定期的に放送される気象放送を聞きながら、同時に天気図を作成することである。放送のスピードについていくのがなかなか難しく、誰でも直ぐに出来る訳ではなく、何度も何度も練習して慣れることが必要だ。僕も時々は自宅で天気図をつけていた。

 また、この頃、高層天気図というものが注目されていた頃で、僕も暇を見ては勉強していた。でも、翌日の山の天気はなかなか当たらなかった。天気図をつけたところで翌日晴れる保証がある訳でもなく、自己満足的な側面もあるが、山で一番怖いのは、2つの低気圧が日本海側と太平洋側にそれぞれ来た時だ。これらの低気圧が、丁度、本州を挟み込むような形になった時で、これを「二つ玉低気圧」と言っている。

 この状態になった時は、たびたび本州に大雪をもたらしており、過去の例を見ても判る通り、幾度か大量遭難などが発生しているのである。僕らが天気図をつけていた目的は、この二つ玉低気圧の有無と、低気圧の接近の有無を確認する為と言っても過言ではないだろう。
BCにて天気図をつける私
甲斐駒ヶ岳への登り
甲斐駒ヶ岳山頂にて(全員)
山頂で揚げたカイト
駒ヶ岳ってどこにあるの?
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