2001年7月13日 作成
南アルプス 白峰三山縦走
1974(S49)年12月28日〜1975年1月2日
■ルート図
■標高断面図
12月28日 新宿〜(中央線)〜甲府〜(身延線)〜身延〜(バス)〜奈良田
12月29日 奈良田〜(チャータートラック)〜あるき沢橋 10:40/11:00〜(5P)〜池山御池小屋 14:50 消灯 19:30 (幕営)
12月30日 晴れのち風雪 池山御池小屋 07:05〜(吊り尾根)〜砂払の頭 11:15/11:25〜ボーコンの頭 12:15 消灯 19:00 (幕営)
12月31日 快晴、強風 幕営地発 07:05〜八本歯〜北岳(3192m) 09:20/09:25〜間ノ岳(3189m) 13:30/13:40〜農鳥小屋 14:45 消灯 19:30 (幕営)
1月1日 吹雪 幕営地発 07:15〜西農鳥岳 08:15〜農鳥岳(3026m) 09:07/09:15〜大門沢下降点 10:00/10:15〜大門沢小屋通過 11:20〜奈良田第一発電所通過 14:20〜奈良田 14:45 (湖山荘泊)
1月2日 奈良田〜身延〜甲府〜立川 (解散)
メンバー: 山口(CL)、渡辺、中満
会費(交通費/食料費):\7,500/一人 ※山行計画書&報告書有り
池山御池小屋への登り(義盛新道)
はじめに
 厳冬期の北岳への入山は、夜叉神まで車で入り、深沢下降点を野呂川まで降りて吊り尾根に取り付くのが一般的であるが、11月中旬に行った偵察山行の結果、深沢下降点の野呂川に架かる吊り橋の破壊、林道の状態など、総合的に検討した結果、最終的には奈良田から電源開発道路経由で野呂川発電所まで入山することに決定した。この時期、奈良田から発電所までは公共の交通機関などある訳もなく、僕らは奈良田のとある旅館のご主人にお願いして、あらかじめトラックをチャーターしておいた。

12月29日
 身延より2時間ほどバスに揺られ、僕らが奈良田に到着した時は、あらかじめ輸送をお願いしていた旅館のご主人は、すでにトラックにタイヤチェーンを付けて、僕らの来るのを待ってくれていた。小雪が舞う中、旅館の前で朝食を取り出発する。車で運んでもらえるのは発電所までと割り切っていたのだが、幸運にも、あるき沢橋出合まで入って運んでくれた。ご主人に送って頂いたお礼を言って、いよいよ、ここから入山である。我々のほかにも3〜4パーティがいた。あるき沢橋出合より池山御池小屋まで4時間ほどの急登を5ピッチで登り、この日は小屋付近の森林の中で幕営した。

12月30日
 幸運にも朝から良い天気だった。早々、出発の準備をし、7時5分に幕営地を後にする。出発から約3時間ほどで森林限界を越える。ここまでくると左からの風が冷たい。途中でヤッケを着て、11時15分に砂払の頭に到着する。この辺りからの北岳の眺めは素晴らしいの一語に尽きる。さらに1時間ほど登って、八本歯手前のコルに到着する。先の行程を考えると今日の行動はここまでだ。既に何パーティーかのテントが張られている中、我々もここに幕営する。夕方より天候が急変し、雪が降り出してくる。

12月31日
 昨夜の降雪で心配していたが、朝起きて見ると快晴であった。今日は縦走路の核心部を走破する日だ。なんてラッキーなんだろうと心が弾む。朝焼けで真っ赤に染まった北岳を眺めながら、出発の身支度をする。今日はこの縦走路中のもっとも難所である八本歯を通過しなければならない。念のため、持参した9ミリザイルを出して、スタカットで一人づつ慎重に通過する。この付近からは、北岳バットレスを登攀しているパーティーが良く見て取れる。今にも雪崩れそうな急斜面のガリーをトラバースしている連中が目に入ってくる。

 出発から2時間ほどで稜線に出る。一旦、稜線上に荷物をデポし、北岳までピストンアタックする。快晴で最高の登頂日和だ。景色も素晴らしい。だた、風は強く、稜線小屋付近では吹き飛ばされないように、必死に踏ん張って進んだ。北岳からは稜線上の縦走だ。3時間半ほどで間ノ岳山頂に到着した。間ノ岳山頂を示す人の背丈ほどもある道標は、その頭が雪面から20cmほど出ていただけであった。その後、順調に進み、14時45分に農鳥小屋に到着する。農鳥小屋は小屋の屋根が雪面から50cmほど顔を覗かせているだけだった。ここまでくれば、白峰三山の半分以上は走破している訳で、今日のところは無理をせず、ここで幕営することにする。標高三千メートルの稜線上なので、防風用の雪のブロックをがっちりと積んで幕営した。

1月1日
 三千メートルの稜線上で1975年の元旦を迎えたが、あいにく、辺りはガスが立ち込めて雪が降っていた。残念ながら初日の出は拝むことはできなかったが、気を取り直して出発する。出発から2時間ほどで農鳥岳に到着したが、とにかくもの凄い風だった。踏ん張っていないと、ほんとうに吹き飛ばされてしまう。こんな状態ではとても休憩する気分にもならず、先を急ぐことにする。進むにつれ、次第にガスが濃くなってきて、視界が悪くなってきた。大門沢下降点を探すが、立ち込めたガスでほとんど視界が利かず、いっこうに見つからない。完全にホワイトアウト(霧などで視界がきかず、方向が判らなくなる様)の状態に陥ってしまった。このあたりの稜線はなだらかでだだっ広い為、なおさらであった。

 30分ほど彷徨したであろうか。少し気持ちも焦り出した頃、視界の前方にかすかな道標が顔を覗かせた。もしやと思い急いで近づくと、大門沢下降点を示す道標だった。皆、ホッと胸をなで下ろし、ここで小休止した。

 大門沢下降点からはいきなり急な下りだ。面倒なので、シリセード(滑り台を滑る要領でお尻で滑る様)で一気に降りる。まさに天然の滑り台といったところで、幾つになっても楽しいものだ。ただ、このあたりは積雪の状態によっては雪崩れが発生する恐れのある場所なので、注意が必要な場所だ。11時20分に大門沢小屋に到着する。当初の計画では、ここで幕営の予定であったが、時間も早いのでこのまま奈良田まで一気に下山し、旅館で一風呂浴びようということになった。もちろん、予約などはしている訳もないので、泊まれる保証はない。

 疲れながらも15時頃に奈良田の町に無事到着した。早々、宿を探し、湖山荘という旅館を見つけた。予約もしないで突然現れた登山客に、かつ、元旦ということもあってか、旅館の女将さんは少々面食らっていたが、二つ返事で泊めて頂けることになった。

 下山直後に入る風呂は最高だ。特に凍り付くような冬山の世界から下りてきてのそれは、安堵感も手伝ってか、格別なものである。また、フワフワの布団で寝る感触も、これまた最高に気持ちいいのである。この感触は山を経験してみないとわからないだろう。ともかく、僕らはビールで顔を火照らせながら、幸せな元旦を過ごすことができたのである。

 突然の珍客にもかかわらず、食事まで用意してくれた湖山荘の女将さんには感謝している次第である。

◆編集後記◆
 予定より1日はやく、3泊4日で厳冬期の白峰三山を縦走することができた。今思えば、少人数ゆえにできたのかもしれない。また、厳冬期ではあるが、縦走形式の登山なので、荷物も可能な限り軽量化をはかった。天幕(テント)は常識を少し外れているかもしれないが、3シーズン用の軽量なものを持参した。比較的好天に恵まれたから良かったものの、ひとたび吹雪にでも見舞われれば、このような天幕でははなはだ心細い。決してお勧めできるものではない。

 この山行では、大雲海に浮かぶ富士山や、朝焼けに輝く北岳など、素晴らしい自然の姿を見ることができた。その時の感動は今でも僕の脳裏に焼き付いている。

 一方、大門沢下降点付近では、ガス(霧)の怖さというものも味わった。視界が利かない時に、如何にして地形を把握するか、どう行動すべきか等、様々な課題も与えてくれた意義ある山行であったように思う。
初日の幕営地(池山御池小屋付近)
ボーコンの頭より朝焼けの北岳
(2日目の幕営地)
ボーコンの頭より富士山を望む(日の出前)
北岳(3192m)山頂にて(向かって左が私)
間ノ岳(3189m)山頂にて、背後は北岳
(向かって左端が私)
間ノ岳山頂にて、背後は富士山
(積雪で道標が埋もれている)
農鳥岳(3026m)山頂にて
(濃霧で視界きかず、右が私)
元旦にお世話になった湖山荘(奈良田)
白峰三山ってどこにあるの?
年代別トップに戻る
地域別トップに戻る