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北岳バットレス第四尾根ルート図
(古いデータ故、参考までに留めて下さい) |
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南アルプスの北岳(3192m)は、富士山に次ぐ日本第2の高峰である。この頂きの東側には「バットレス」と呼ばれる雄大な岩壁が広がっており、中央稜をはじめ、数々の登攀ルートが開拓されている。
夏の到来を目前にした6月、僕らはこのバットレス第四尾根の登攀に挑戦することになった。日本の主な登攀ルートは、その難易度により、等級が設定されており、この第四尾根はV〜W級のグレードであり、岩登りの初中級者に親しまれているルートである。僕にとっては、今回の山行が初めての本格的な登攀であった為、期待以上に不安のほうが大きかった。
同僚二名と伴に3名で広河原に降り立った。広河原からは、八本歯に至る一般の登山道をしばらく登り、途中、大樺沢上部の平坦な場所に持参したツエルトを貼り、ここをBCとして登攀に不要な荷物はデポする。(現在、大樺沢一帯は全面幕営禁止になっているようなのでご注意下さい。)
BCよりさらに大樺沢を登り、途中より登山道を外れ、Dガリー取付に11時45分に到着する。さて、ここからいよいよ登攀開始である。早々、持参した登攀具を取り出して装着する。今回は3名での登攀なので、40メートル(直径11ミリ)のザイル2本を持参した。
さて、これからの登攀の様子を細かくご紹介したい所であるが、残念なことに手元には当時の山行記録が残っていない。また、僕の記憶も極めて断片的になってしまっているので、印象に残っていることを中心にご紹介する。
尾根に取り付いてから、第一コル、第二コルへと順調にピッチを進める。二人での登攀の場合は、お互いが交互にトップに立つ、いわゆる「つるべ方式」で登れるので登攀の効率は良い。40mのザイルを使っている場合、まず、トップが40m登った後、セカンドは40m登ってトップの者を通り越して、今度は自分がトップとなってさらに40m上までの計80mを登る。あとは、この繰り返しである。
ところが、3人パーティーの場合はそうはいかない。まず、トップが40m登り、次にセカンドがトップの所まで登る。最後にラストが二人のいる所まで登る。そして、3人が1カ所に集結した後、再びトップが登る。これが3人で登る場合の原則である。いわゆる「尺取り虫」方式にならざるを得ないので、費やす時間も二人パーティーに比べれば多い。ただ、登攀に時間はかかるものの、二人の時には味わえない楽しさもある。岩登りとはいえ、一人でも仲間が多いほうが何かと楽しいのだ。
取付から4ピッチで、第2コルに到着したと思う。後続のパーティーも居ないようなので、焦って登る必要もなく、ここで小休止することにする。安全の為、各自、岩にセルフビレーをとり、一服しながら記念撮影をした。ここで撮影した写真が左にあるが、僕は何故かニコニコして写っていた。こんなに余裕があったとは記憶していないが、単なる一瞬の表情だったのかもしれない。
第2コルからは1ピッチ(40m)でマッチ箱である。マッチ箱の上で後続の二人を確保する。ここまで登ってくると、第四尾根の両側は、数百メートルに渡って切れ落ちており、何ともスリル満点だ。マッチ箱からは10メートルほどの懸垂下降でコルに降りる。ここがマッチ箱のコル(第3コル)だ。ここからは中央稜のルートが良く見える。目もくらみそうな垂直の岩壁が目の前に広がっている。僕にもあんな凄い所が登れるだろうか・・・などと一人物思いにふけりながら、しばし見入ってしまった。ここで小休止している間に、いつしか後続のパーティが登ってきた。二人のパーティーだったので、彼らに先を譲った。(このコルにはタタミ二畳ほどの快適なテラスがあったが、1981年に大崩壊があり消失してしまったと聞いている。)
さて、ここからは、あと数ピッチで頂上直下のハイ松帯に入り、第四尾根登攀も終わりとなる。我々はこのコルから直接リッジをたどる一般ルートはとらず、Cガリー側を経由する右ルートを選んだ。この右ルート上のクラックからバンドをたどる所は状態が悪く、このルートの核心部だ。そして、先輩がトップで進み始めた。この時、僕はセカンドとして確保していた。幅2メートルほどのバンドを進み、途中より左手のスラブ状の岩壁に取り付いた。トップを行く先輩の姿は岩の陰で良く見えない。ザイルが思うようにのびないので、やはり難しいのかな・・・と思ったその瞬間、先輩の「アッ!」という声と同時に、確保していた僕の体に衝撃が走った。僕は反射的に身構え、しかし、繰り出されるザイルにゆっくりと制動をかけた。そしてザイルの繰り出しは直ぐに止まった。何が起こったのかは直ぐにわかった。トップを行く先輩が墜落したのだった。この間、わずか数秒の出来事だ。墜落した先輩の姿は岩の陰に隠れて良く見えなかった。僕らは心配になり大声で呼んでみた。すると、返答が返ってきた。良かった。でも、返事をする会話の内容が何だか変だった。それを聞いて、僕は「頭でも打ったかな?」と少し心配になった。大きな墜落ではなかったので、自力で体勢を取り戻し、一旦、僕らのところまで引き返してきてくれた。
返ってきた先輩と話をしたが、普段の先輩に戻っていたので安心した。墜落直後は、きっと気が動転していたのだろう。それにしても、支点のハーケンが抜けなくてほんとうに良かった。あのたった一つの支点がその役目を果たしてくれたおかげで、結果的に大きな墜落を免れたのだった。仮に、あのハーケンが抜けていたら、おそらくCガリー側に数十メートル振られていただろう。そして、これだけの距離に渡って墜落すると、確保しているほうも相当の衝撃を受けることになり、必ずしも制動できるとは限らない。仮に制動できたとしても、結果的に大きな事故につながっていたかもしれない。そういう意味ではほんとうに不幸中の幸いだった。
思わぬところでつまづいてしまったが、あと数ピッチ登れば登攀終了点である。ここまで来れば登り切ったほうが安全で、下降するなどかえって危険だ。幸い先輩も大丈夫そうなので、ここからは僕がトップで登った。そして、先ほどの難所も何とか通過し、2ピッチで登攀終了点のハイ松帯に到着した。ここからはアンザイレンのままコンティニアスで進み、日も暮れかけた17時25分に北岳山頂に到着した。登攀終了と同時に3192メートルの日本第二の高峰に出られるなんて、なんて気持ちの良いルートだろう。
夕闇も迫っているので、休憩もそこそこに下山を開始する。そして、八本歯のコルを経由して、18時55分に無事BCに帰着した。こうして、僕の初めてのアルペン・クライミングは終了したのだった。
◆編集後記◆
初めて本格的な登攀を体験した訳であるが、登攀を終えて無事「頂」に立った時、それまでの長時間に渡る緊張感から解放されて、何とも心地よい充実感や満足感を味わうことができた。この感覚は他のスポーツではなかなか味わうことのできない独特のものである。そして、これを契機に、僕はさらに岩登りの魅力に魅せられていくのであった。 |
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北岳バットレス第四尾根の核心部
※ 稜線上に小さく見える点は登攀者です。
この写真は1977年5月に第一尾根より撮影したものです。 |
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BC(大樺沢上流)よりバットレスを望む
※現在は幕営禁止です。 |
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第1コル直前をラストで登攀する私 |
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第2コルにてセルフビレーして小休止(左が私) |
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マッチ箱のコルにて(私) |
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マッチ箱コル付近よりCガリーを望む
(数百メートル切れ落ちており、凄い高度感が味わえる) |
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マッチ箱コル付近より「中央稜ルート」を望む
(垂直の壁が連続する日本でも有数の難ルートだ) |
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枯れ木テラスよりマッチ箱を望む |
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登攀を終え、北岳山頂にて一服
(一緒に登攀したパートナー) |
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