2001年6月9日 作成
東北 飯豊連峰 縦走
1974(S49)年4月30日〜5月4日
縦走ルート図
4月30日 晴れ 上野発 23:55〜(ばんだい6号)
5月01日 曇り時々雨 山都 06:15/08:00〜(バス)〜一ノ木 08:50/09:00〜(マイクロバス)〜川入 10:20/09:35〜地蔵山(1485m) 15:05/15:30〜三国小屋 16:35 消灯19:30 (幕営)
5月02日 晴れ 起床 04:30 幕営地発 06:30〜切合小屋 07:40〜飯豊本山(2105m) 10:00〜御西岳(2012m) 11:15〜与四太郎ノ池 14:40〜カイラギ小屋 15:20 消灯 20:10 (幕営)
5月03日 晴れ 起床 03:00 幕営地発 05:35〜北股岳(2024m) 06:05〜地神山(1849m) 07:55/08:25〜頼母木平 08:50 (頼母木平からいぶり差岳1636mへ2名ピストンアタック 09:30-11:45)〜頼母木平発 12:00〜西俣ノ峰(1023m)手前 13:15〜長者原ロッジ着 16:30 (ロッジ泊)
5月04日 晴れ 起床 06:00 ロッジ発 06:45〜小国 07:40/08:01〜米沢 10:22〜上野 15:08
メンバー: 山口(CL)、渡辺、中満、竹内、真辺
会費(交通費/食料費): \7,500/一人 ※山行計画書&報告書有り
三国岳から日の出を望む
はしがき
 昨年の5月連休に、ここ飯豊連峰の縦走に挑戦したが、この時期特有の不安定な天候に阻まれて、あえなく敗退していた。また、私が入会する前の1971年にも、先輩諸氏がここ飯豊連峰に挑戦したが、この時も悪天候に阻まれて敗退していた。従って、会としては今回が3度目の挑戦である。今回は会の若手メンバーを中心に男子5名で挑むことになった。行動予定は少し余裕を持って次のように計画した。

1日目 上野〜若松〜山都 (車中泊)
2日目 山都〜一ノ木〜川入〜5h〜地蔵小屋 (幕営)
3日目 地蔵小屋〜1h〜三国小屋〜1.5h〜切合小屋〜2h〜飯豊本山〜2h〜御西小屋 (幕営)
4日目 御西小屋〜3h〜大日岳ピストン〜2h〜御手洗池〜2h〜与太郎池 (幕営)
5日目 与太郎池〜1.5h〜北股岳〜1h〜門内岳〜2h〜頼母木山 (幕営)
6日目 頼母木山〜5.5h〜長者原 (泊)
7日目 長者原〜米沢〜上野

4月30日
 昨年の43kgもの重荷に懲りて、今回は計画時点から可能な限りの軽量化を図ったつもりだったが、それでも40kg近い重量となってしまった。上野発の夜行に乗り込む。

5月1日
、若松で新潟行きに乗り換えて山都駅に降り立つが、小雨が降っていた。駅前でラーメンを作って食べる。一ノ木までは路線バスで行き、一ノ木で地元の建設関係のマイクロバスに乗るが、バスの中はすし詰め状態だった。川入までの途中、2ヶ所ほど雪崩れで道路がふさがっていたが、ブルドーザの援護で、何とか入ることができた。しかし、思わぬ道路事情で一ノ木から1時間半も費やしてしまった。

 この時期、川入の民家はまだ深い雪に埋もれていて度肝を抜かれる。例年に無く大雪だったのだ。不安を隠しながら、地蔵山に向けて登行を開始する。昨年ここを訪れた時は、地蔵山の山頂付近まで雪はなかったが、今年は尾根の取り付きから雪に覆われている。しかし、進むにつれ、雪が多い方が好都合であることに気づく。ブッシュが出ていないので歩きやすいのだ。快調に進み、6ピッチで今日の幕営予定地の地蔵山に到着する。しかし、明日の天候が気がかりなので、もう少し頑張って三国小屋まで行くことにする。腹ごしらえして地蔵山の西をトラバースする。途中、剣ヶ峰の岩場を慎重に通過し、16時35分に三国小屋に到着する。小屋には8名ほど先客がいたが、我々は2階に陣取ることができた。今夜のメニューはカツ丼だ。僕の絶妙な味付けに皆舌鼓を打つ。

5月2日
 ふと目が覚めると外が明るくなっている。快晴だ。あわてて全員を起こし、朝食をかき込んで6時30分に出発する。快調に進み、10時ジャストに飯豊本山に到着する。山頂で記念写真を撮り先を急ぐ。御西岳への稜線の南西をトラバース気味に進むが、もの凄い強風である。顔面の感覚が無くなるほどで、まともには喋れない。御西岳の小屋を探すが、まだ雪の中に埋もれているようで、結局発見できなかった。風を避けて岩陰で昼食を取りながら、この先の行動を相談する。空には悪天候を予感させるスジ雲が現れており、大日岳へのアタックは中止し、完走を優先することにする。この日の行動は御西岳までの予定であったが、小屋が見つからないこともあり、この先行けるところまで行くことにする。

 烏帽子岳への急登は苦しかった。ステップを切りながらの登行で、予想以上に体力を消耗する。そうこうするうちに、前方にカイラギ小屋が見えてくる。今日の行動はここまでだ。小屋に入ると、中は満員御礼で熱気でムンムンしていた。とても小屋に泊まる気にはなれないので、近くでテントを張ることにする。風避け用のブロックをがっちり積んで、テント内に潜り込む。

5月3日
 この日も朝から晴れていた。「よし、いけるぞ!」と全員意気込む。日の出と共に出発し、1ピッチで北股岳をのっこし、門内岳、地神山と快調に進む。地神山ピークにて小休止をとる。ここからの眺めは抜群だった。頼母木山を越えて頼母木平に8時50分に到着する。下山するにはまだ早い。そこで、僕はいぶり差岳までのピストンアタックを提案する。この提案に賛同したのは後輩1名のみで、後の3名はここでトカゲ(昼寝のこと)を決め込むとのこと。ここからいぶり差岳へは往復3時間半の行程だが、下山を考えて2時間半で帰って来いとの指示だった。僕はT君と二人で、半ば走るようにとばしにとばして、いぶり差岳に向かった。途中、コースを間違えて藪漕ぎを強いられたが、15分遅れの2時間45分の所要で無事帰着した。

 これで遂に飯豊連峰を制服したのだ。僕は感慨に浸りながら下山を開始した。今にも崩れ落ちそうな雪庇を横目に、ひたすら下山する。途中、西俣ノ峰を過ぎた辺りで尾根ルートを見失うが、面倒なので右手の沢に降り、半ば転がりながらも16時半に無事長者原の部落に到着する。この途中、気の緩みからか、僕はまたもや手に怪我を負ってしまう。ともかく、この日は長者原ロッジに投宿し、熊の肉に舌鼓を打ちながら、全員で飯豊連峰完走の喜びを分かち合う。

5月4日
 昨晩は爆睡した。バスに乗る為、宿を出発しようとすると、朝食ができているとのこと。あわててかき込んで、バスに飛び乗り長者原を後にした。

編集後記
 こうして、2年続けての飯豊連峰への挑戦は、天候にも恵まれて見事成功裏に終わったのである。その後、何故かこの地を訪れる機会がないまま今日に至ってしまったが、僕の中では、いつの日か再び訪れてみたい山の一つとして心に刻まれている。

 また、この山行でいぶり差岳に共にアタックした1年後輩のT君は、その後、先鋭の山岳会に移り、南米アコンカグア山に遠征したが、頂上を目指したまま行方不明となり、帰らぬ友となってしまった。寂しい限りである。 
飯豊本山への稜線上にて
飯豊本山山頂にて
(向かって左から二人目が私)
飯豊本山方面を望む
北股岳への急登 (トップが私)
地神山にて(中央が私)
いぶり差岳よりの遠望
いぶり差岳山頂にて(私)
飯豊連峰ってどこにあるの?
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