2001年5月19日 作成 | ||
谷川岳 西黒尾根〜土樽 縦走 |
1973(S48)年12月14日(夜)〜16日 |
12月14日 | 上野発 22:13〜(夜行) | |
12月15日 | 晴れ | 土合駅 02:46〜ロープウェイ駅 03:45/05:00〜谷川岳(1963m) 10:30/10:50〜一ノ倉岳(1974m) 13:10/13:20〜茂倉岳(1977m)通過 14:00〜土樽 18:25 (山の家泊) |
12月16日 | 山の家発 08:40〜土樽発 09:00〜上野 13:00 (解散) | |
メンバー: 山口(CL)、渡辺、半田、中満、黒川、竹内、真辺 | ||
会費(交通費/食料費): \2,700/一人 ※山行計画書&報告書有り | ||
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毎年12月に入ると、正月合宿の為のトレーニングとして、谷川岳か富士山に出かけていた。この山行もそのためのものだ。正月合宿に参加する者は、皆このトレーニングに出かけるのが決まりだった。昨年入部した僕を含む同期生が4名、この年の4月に入部した新人が2名、それに会のリーダ1名の計7名にて、上野発の夜行列車に乗り込んだ。 土合駅の階段を息を切らせながら登り外に出た。駅付近の降雪量を見て、その多さに驚かされる。 今回の計画は、西黒尾根を登り、一ノ倉岳、茂倉岳を縦走し、その日のうちに茂倉林道を経由して土樽まで下るという、かなりの強行軍であった。果たして、この積雪量で大丈夫なのか、少し心細くなってきた。山岳ガイドによれば、このコースの夏場の所要時間は9時間ほどとなっている。これに休憩時間などを含めると、走破するのには13時間程かかる計算だった。ましてや、雪の量がかなり多いので、はなはだ心配だった。 タフなコースなので、土合口のロープウェイ駅で朝食をかき込んで、仮眠もせずに5時に出発した。この日は運良く快晴で、写真でご覧頂けないのが残念だが、真っ青な空が広がっていた。西黒尾根の積雪は予想通りだった。僕はパーティーのトップをつとめていたので、森林限界まではワカン(カンジキ)を履き、ラッセルしながら登った。このワカンは登山用に作られたものだったが、馴れないせいもあり随分と歩きづらく、歩行中に良く外れてしまうので、途中でアイゼンに付け替えた。 故障者もなく、皆、順調に登り、予定通り10時30分に谷川岳(トマノ耳)山頂についた。取り付いてから5時間半の行程であった。ここからは茂倉岳まで稜線の縦走だ。先が長いので、一ノ倉岳に向けて早々出発する。谷川岳の双耳峰であるオキノ耳を通過した頃から、稜線上に雪庇(せっぴ)が現れてくる。 雪庇とは、雪山の稜線上に出来る雪の「ひさし」のことだ。冬の谷川岳では常に上越側(西側)から強い風が吹く為、稜線上の反対側(東側)に雪の「ひさし」が大きくせり出してしまう。そして、稜線上から見ると、この「雪のひさし」はあたかも土の上に降り積もった雪のように見えてしまうのだ。この自然現象の特性を知らずに、うっかり雪庇の上を歩いたりすると、人の重みに耐えかねて雪庇が崩れることがある。その下がなだらかな峰であれば、大した問題にはならないのだが、雪庇のできるような稜線は往々にして両側が切り立った険しい山容なので、転落事故につながることが多い。だから、冬山を登る者は、この雪庇を見極められるだけの洞察力が要求される訳だ。 もちろん、僕らはこの辺りに雪庇ができていることは充分予測していたので、稜線の端から20メートルほど新潟県側(風上側)に寄った所を順調に歩いていた。この時も僕がトップだった。と、その時だった。突然、僕の股の下を境に、前後数十メートルに渡って、ビシビシッという音と共に大きな亀裂が雪面に走ったのだった。僕はとっさに、「やばい! 雪庇の上だ」と直感し、新潟県側に逃げようとした。が、膝まで雪の中に埋もれて歩いていたので、とっさには動くことができなかった。 この時、後を振り返って皆の様子を見たが、2番目の者が少し遅れていたこともあり、後続のメンバーは、この亀裂より安全な新潟県側を歩いていたのだった。 僕は雪庇を踏み抜かないように、這いずり回るように、恐る恐るその場を退散した。そして、幸いにも雪庇は崩壊しなかったのである。安全な場所まで避難した後、僕は体が震えだした。何故なら、その雪庇の下は、岩登りで有名な「一ノ倉沢」だったからである。そう、この雪庇の真下には数百メートルもの垂直な岩壁が広がっているのだった。だから、もし、あの雪庇を踏み抜いていたら・・・と考えると、いやおうなしに震えが襲ってきたのである。 こんなに大きな雪庇ができていたとは・・・・。正直、唖然とした。結果からすれば、僕の経験不足と洞察力の無さが原因のすべてだった。そして、この事件以後、僕は茂倉岳までの稜線を歩くのが怖くて仕方なかった。多分、稜線の端から50メートル以上も新潟県側を歩いていたと思う。後に続く同僚は、多分、何もそこまで避けなくても良いのに・・・と思ったに違いないが、僕はどうしようもなく怖かった。後になればなるほど、その時の事を思い出すと、ゾ〜っとしてくるのであった。 唯でさえタフなコースなのに、こんな事件もあって、僕は、土樽までの茂倉新道の下りをヘトヘトになって歩いていた。まして、途中で日没になり、電池の無くなりかけた薄暗いヘッドランプの明かりを頼りに、足下のしっかりしない雪道を、よろけながら土樽に到着したのであった。そして、この日はテントを張る気力もなく、山の家に宿泊することとし、布団の上で爆睡したのだった。 。 心身共にこんなに疲れた山行も初めてだった。あの時、幸いにして雪庇を踏み抜くこともなかったので、こうして今日、山行記を書くことができる訳だが、この山行で、僕は大自然の壮大さと、自然に対する人間の微力さを思い知らされることになった。そして、自然を相手にした時の人間の自信など全く通用しないことを知ったのであった。 |
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