2001年4月28日 作成 | ||
南アルプス 塩見岳 (荷揚げ&下見山行) |
1973(S48)年10月19日〜22日 |
10月19日 | 新宿 23:45発〜(アルプス8号、車中泊) |
10月20日 | 辰野 04:24/04:51〜(電車)〜伊那大島 06:44/09:12〜(バス)〜鹿塩 10:15/10:30〜塩川小屋 13:07/13:37〜三伏沢小屋 18:25 (泊) |
10月21日 | 雨のため、三伏沢小屋で終日停滞 (泊) |
10月22日 | 起床 05:10 三伏沢小屋発 07:45〜塩川小屋 09:53/10:03〜(車)〜鹿塩 10:20/10:47〜(バス)〜伊那大島 11:50 |
メンバー: 杉谷(CL)、山口(SL)、渡辺、半田、中満、黒川、竹内、真辺 | |
会費(交通費/食料費): \6,400/一人 ※山行計画書&報告書有り | |
まず最初にお断りしておかなければならないが、何故かこの山行の写真が残っていない。カメラは持参しているはずだが・・・・。写真を楽しみにしていた方にはほんとうに申し訳ない。でも、幸いにして、この山行の計画書と報告書が手元にあるので、たまには、違った角度からその時の様子をご報告したいと思う。 冒頭のタイトルにある通り、この山行は2ヶ月後に控えた正月合宿の為の荷揚げと偵察が主な目的だ。今の時代には、国内で事前に荷揚げすることなど希かもしれないが、当時は当然のことのように計画した。 塩見岳は山深いので、特に冬季の登山においては、様々な困難が付きまとう。実は、我が山岳会では、過去の塩見岳冬期合宿で、メンバーの女性1名を事故で失っている。この為、二度とこのようなことのないよう、より慎重になっていたことは否めない。 手元の資料によれば、この時に荷揚げした明細は次の通りである。
8名のメンバーで向かったが、うち2名はコースの偵察隊ということで、比較的軽い荷物で先発し、荷揚げ本隊6名とは別行動であった。 (右上へ進んで下さい。) |
僕は荷揚げ本隊のサブリーダとして、一人当たりの割り当てが25kgほど、個人の装備を合わせれば40kgほどの重い荷物を担いでいた。鹿塩より車道を3時間あまり歩いて塩川に到着する。ここより三伏峠まで5時間あまりの急な登りである。途中よりコース上に雪が現れてくる。17時を過ぎ、辺りが暗くなり始めたのでヘッドランプをつけて登った。そして、18時25分、暗闇の中、三伏沢小屋に到着した。 先に軽い荷物で登って行った先発隊二人は、既に小屋でくつろいでいた。聞いてみれば、コース上に雪が付いているので、下見は中止して、ずっと小屋に居たとのこと。それを聞いて、重い荷物を担いであえぎながら登ってきた我々6名がどう感じたかは想像できるだろう。 この一件で、皆の間に少し嫌な空気が流れたが、ともかく、荷揚げは成功したので、役目を果たした我々は全員安堵した。この三伏沢小屋は無人の小屋なので、荷揚げした荷物は3個の一斗缶に入れて、デポ品であることを表示し、小屋の片隅にしっかりとくくりつけておいた。このようなデポ品は、往々にして悪質な登山者に荒されることがあり、正月まで無事であることを、たただただ祈るばかりだ。翌日は塩見岳と荒川岳を偵察する予定であったが、朝から大雨が降っており、この日は終日小屋で停滞した。 次の日は朝から快晴だった。でも、今日中に帰らねばならないので、偵察はあきらめて下山に入る。小屋を7時45分に出発し、塩川に9時53分に到着、登りの時はあえぎながら5時間もかかったところを、2時間足らずで降りてしまった。いつものことであるが、我が会は比較的下りのペースが速いのが特徴だ。塩川小屋からの林道は、幸運にも地元の方の好意で、塩川まで車で送ってもらった。 |
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我が会が普段の山行でどんなものを食べていたのか、この山行での食料計画の献立をご紹介しよう。よくよく見ればかなりの粗食であるが、この時はそういう気持ちもなく、それなりに満足していたように思う。
この山行で持参した装備品(食料は除く)
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塩見岳ってどこにあるの? |
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