2001年4月7日 作成
奥多摩 越沢バットレス (登攀訓練)
1973(S48)年6月
■登攀ルート図
はとのす駅〜越沢バットレス〜はとのす駅
実践を模擬してザックは背負う
 東京都の奥多摩に越沢バットレスという岩登りの訓練場がある。以前よりその存在は聞いていたが、まだ訪れたことはなかった。そんなある日、山岳会のOBよりお誘いの声がかかった。もちろん、僕は一つ返事でOKした。その先輩は、OBといってもまだ若く、当時はたしか30才位だったかと思う。普通ならまだバリバリの現役である。だから、そんな若くしてなぜ山を引退してしまったのか、ずっと気になっていた。でも、何か聞いてはいけない理由がありそうで、面と向かっては聞けなかった。

 その先輩OBは、穂高の衝立岩など日本でも屈指の難ルートの登攀に成功していた。そして、岩登りのトレーニングの為、この越沢バットレスには良く通っていたそうである。僕たち現役の登攀テクニックの未熟さに業を煮やした訳ではないだろうが、ともかく指導してくれることになった。願ってもないチャンスだ。僕ははやる気持ちを抑えながら現地に向かった。

 その場所は、青梅線の「はとのす駅」から、徒歩で30分ほど山に入ったところにあった。同じ奥多摩の「つづら岩」という練習場には何度か足を運んでいたが、一見した感じでは、つづら岩よりもスケールは大きいし、ルートも難しそうだ。

 登攀準備を済ませて、早速、練習を開始する。まずは、会のリーダーである先輩がトップで登る。僕はミッテル(二番目)で、ラストは先輩OBがつとめる。トップを行くリーダの動きがやけに鈍い。やっぱり、このルートは難しいのだ。40mのザイルがいっぱいになったところで僕の番だ。後ろにいる先輩OBの鋭い視線が気になりながらも、必死になって登った。でも、難しい。しっかりしたホールドやスタンスが無いのだ。こういう時は全体のバランスが大事だ。頭では判っていても、恐怖心も手伝ってなかなか思うようにはいかない。一汗かきながらも何とか登ることができた。そして、2ピッチで岩壁の上に出る。1ピッチが40mなので、ほぼ80mの岩壁を登ったことになる。その後、色々とルートを変えて登ったが、ルートによっては、オーバーハングしているところや、ホールドがまったく無いところなどもあり、そういうところは、持参したアブミ(登攀用の縄ばしごのようなもの)を使って登った。

 実は、この練習中に僕はとんだ失態をしでかしてしまったのだ。先輩OBから大声で思いっきり怒鳴られた。それは岩壁下部で待機していた時のこと。僕は不覚にも着けていたヘルメットを外してしまっていたのだった。それを見た先輩OBが、凄い形相で僕に怒鳴ったのである。このときばかりは、小心者の僕は心臓が止まりそうだった。冷静に考えれば、怒鳴られて当たり前だった。練習場とはいえ、高度差80mほどもある岩壁である。気を抜けば事故も起きるし、時々落石も発生する。少し前にも、登攀練習中に僕の耳元を小石がビューンと唸り声をあげて落ちていった。指先ほどの小石であっても、80mも上から落ちてくると、もの凄い加速度がついていて恐ろしい。だから、岩壁の下部でヘルメットを外しているなんて、自殺行為に等しいのだ。だから、怒鳴られて当然だった。この時、僕はすでに1年ほど岩登りを経験していたが、基本ができていない自分を知ることになり、随分と恥ずかしかった。こうして僕は、この良き先輩OBから、岩壁登攀の基本をたたき込まれたのだった。

 冒頭に述べた「なぜ、先輩OBは若くして山を引退してしまったのか」であるが、結局、面と向かって聞くこともできずに今日に至ってしまった。これは僕の勝手な想像だが、その先輩OBが現役の頃、同じ仲間を山で失っていることは聞いていた。詳しくはわからないが、多分、このことに起因しているのではないかと思っている。
スタンスが無いのでアブミを使う
思った以上にホールドが少ない
リーダーがトップで進む(手前が私)
越沢バットレスってどこにあるの?
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