2001年2月9日 作成
北アルプス 表銀座縦走 (夏期合宿)
1972(S47)年7月27日〜8月2日
7月27日 晴れのち曇り 上野発19:50〜(北隆1号)
7月28日 晴れ 富山駅 04:08/04:47〜(富山地鉄)〜有峰 05:26/06:55〜(バス)〜折立08:20/09:00〜太郎山キャンプ地 15:20着 19:40消灯 (幕営)
7月29日 曇りのち晴れ 起床 04:00 キャンプ地発 06:45〜黒部五郎岳(2839m) 12:55〜五郎小屋キャンプ地 14:42着 19:30消灯 (幕営)
7月30日 曇りのち晴れ 起床 04:00 キャンプ地発 06:23〜三俣蓮華山(2841m) 08:20〜双六池キャンプ地 10:36着 19:30消灯 (幕営)
7月31日 快晴 起床 04:10 キャンプ地発 06:20〜樅沢岳通過 07:00〜槍ヶ岳肩の小屋 10:55/11:07〜槍ヶ岳(3179m) 11:28/11:45〜肩の小屋 12:08/12:45〜ヒュッテ西岳キャンプ地 16:17着 19:40消灯 (幕営)
8月01日 快晴 起床 04:10 キャンプ地発 06:20〜大天井岳通過 08:25〜燕山荘 12:25/13:00〜合戦小屋 13:25/13:35〜中房温泉 14:55着 22:45消灯 (幕営)
8月02日 快晴 起床 06:00 キャンプ地発 09:40〜(タクシー)〜有明 10:20〜(電車)〜松本 12:02/14:31〜立川 18:20 (解散)
メンバー: 山口(CL)、沖(SL)、勝又、渡辺、村山、中満、柴山、黒川
会費(交通費/食料費): \8,000/一人 ※山行計画書&報告書有り
太郎山付近の稜線を行く
 山を始めてたかだか4ヶ月、その間、神奈川県の丹沢を中心に幾度となく山行は重ねてきたものの、重い荷物を背負っての日本アルプス縦走となると、言葉にこそ出さなかったが、やはり不安で仕方なかった。

 今回の夏合宿では、会社の夏休みを利用して、日本(北)アルプスの表銀座と言われる、太郎山〜黒部五郎岳〜双六岳〜槍ヶ岳〜燕岳のルートを1週間かけて縦走する計画である。メンバーは女性2名、男性6名の計8名が参加した。

 歩き始めるとすぐに、背負う荷物がズッシリと肩に食い込んで、手がしびれてくる。荷物の重量は約40kg程である。この位の重量になると、一人では立ち上がるのも難儀である。今のようにフリーズドライの食料は少なかった時代であり、持参した食料は、お米、みそ、ジャガイモといった生物が中心で、荷物の重量に拍車をかけていた。

 太郎山の登りでは、いきなり同期生の新人が足をつってしまい、彼が背負っていた荷物を皆で分担することになった為、さらにきつい登りとなってしまった。でも、苦しみながらでも、時折周りを見渡すと、そこにはアルプスの広大な自然が広がっており、この景色が僕の疲れを時折癒してくれた。

 当時はキスリングという、日本独特の横長のザックが主流であったが、僕は何故かこれが大嫌いで、背負子に一斗缶の空き缶を二つつけて、その中に1週間分の食料を詰めて背負っていた。

 この合宿の山行報告書はすでに紛失しているので、今となっては細かな行動記録はわからない。幕営地の双六岳で見た、双六池に写る夕暮れの山並み(左下のカラーの写真)がもの凄く綺麗で、随分と感動したものである。

 また、双六岳の幕営地から見る槍ヶ岳の遠景(下のパノラマ写真)もなかなかのもので、少ない休憩時間を満喫することができた。

 この双六岳の幕営地では、持参した野菜を使って、本格的な天ぷらをつくって、皆で舌鼓を打ちながら夢中になって平らげた。山での大きな楽しみのひとつは、何といっても夕食である。夕食の献立が自分の好物の時は、昼間、歩いている時から、密かにその味に想いをはせたりしているのである。特に、単調になりやすい夏山の縦走では、そんなことでも想像して、一人楽しみを見つけていないと、途端にバテてしまうのである。
黒部五郎岳を目前に
三俣蓮華への急登にあえぐ(後から二人目が私)
夕暮れの双六池(フィルタ使用)
双六池付近から望む槍ヶ岳連峰(フィルタ使用)
ヒュッテ西岳より望む日の出
 今回の合宿で、初めて三千メートル級の山、槍ヶ岳(3180m)に登ることができた。槍ヶ岳までの急登はもの凄くきつかったが、頂上に立った時はほんとうに感動した。

 左の写真は、ヒュッテ西岳の幕営地より、日の出の瞬間を撮影したものである。写真からは判らないが、真夏とはいえ、三千メートル級の稜線ともなると、朝方には摂氏零度近くにも気温が下がる。涼しいなどと悠長なことを言ってる気温ではない。
西岳キャンプ場からの槍ヶ岳・穂高連峰の朝焼け
 ヒュッテ西岳のキャンプ地からの日の出を拝みながら出発する。今日は、燕岳までの行程だ。縦走も快調に進み、お昼頃に燕山荘に到着する。ここで幕営し、燕岳をピストンアタックする予定であったが、予定を変更して、下山することになった。

 ところで、この表銀座の縦走路は、幕営地が稜線上の為、水場がまったくなく、必要な水は数少ない山小屋で購入することになる。貧困の我が山岳会は、思う存分水も飲めず、喉の乾きを潤すべく、中房温泉に到着してから、水の一気飲み大会をすることに相成った。1位になった者には、会からコカ・コーラの賞品がでることになった。各自が持参している2リットルのポリタンに水を満タンにし、合図と同時に一気飲みに挑戦した。結果、僕は1.8リットルほど飲んだ所でダウン、結局2位であった。
1位の強者は2リットルすべてを飲み干していた。でも、僕もそうであったが、一升の水を飲んだ後にコカ・コーラなど飲める訳もなく、会のリーダーのしたたかな計算に、まんまとひっかかったのであった。

 中房温泉で温泉に浸かって疲れた体を休めた後、みんなで芝生に寝転がり、夜空を見上げて見た満天の星は今でも忘れられない。この合宿で少しは成長したかなと、ひとり思いつつ眠りについた。
当時の急行券
 当時の急行券がアルバムにはさまっていた。松本から立川までの帰路の急行券だ。それにしても300円とは・・・・。貧困生活をする僕は、当時、コロッケ定食を、200円位で食べた記憶がある。これと比較すれば当時の急行料金は、今より安かったのかもしれない。
槍ヶ岳ってどこにあるの?
年代別トップに戻る
地域別トップに戻る